国内研修会(沖縄)開催される

投稿日時 2007-11-26 | カテゴリ: 東京青中NEWS

毎年行われている、国内研修会(研修旅行)が本年も10月に開催されました。今回の研修先は沖縄。前回の鹿児島に続き、飛行機での遠征となりました。2泊3日の旅行となった今回、非常に充実した研修会となったと参加者から喜びの声が聞かれます。その参加者のお一人、岩窪副会長の研修レポートをお3日に分けて届け致します。
初日
10月19日(金)の16時30分、自分は記念すべき初沖縄上陸に望むべく羽田空港の飛行機の中で出発を待っていた。今年の国内研修は、運営委員長の多田氏の薦めもあり沖縄県と決まっていた。雑誌やテレビでしか見たことの無い沖縄県にいけるとあって、自分はかなり胸が高ぶっていた。事前に何度も運営委員会で集まり、旅行会社との綿密な打ち合わせもあり、準備万端な旅行企画であった。自分の率直な沖縄のイメージは「沖縄の人は時間がゆっくり流れているためルーズである」ということだった。この旅行でそのイメージがガタガタと崩れていったのは後に説明することとして、後合流のメンバーを除いた9名は羽田を発ったのであった。まず自分の最大の誤算は「沖縄は気温が高いから半袖で充分」という所だった。まだ到着もしてないうちから半袖だったため、機内の気温の低さを計算に入れてなかったため、軽い風邪の症状が出てしまった。沖縄に初上陸の時点で体の具合が最悪という一生忘れない出来事となった。一行はジャンボタクシーに乗り込み、沖縄青中との交流会会場である「無炉爛(むろらん)」に向かった。大通りを一本裏に入ると、急に暗くなり一行がどこにいるかわからなくなるくらいだ。無事会場を見つけ中に入ると、下地会長を始めとした沖縄青中の方々はすでに到着しておられた。多田運営委員長の司会のもと、東京青中と沖縄青中との交流会が始まった。「地元の方がよく利用する店を会場にして欲しい」と多田委員長が下地会長にお願いしていたとあって、かなり雰囲気のいい居酒屋だった。自分はお酒を飲まないため、うっちん茶(ウコン茶)やさんぴん茶(ジャスミン茶)を飲んでいた。お茶の味の違いがわかるほど美食家ではないので、雰囲気で「さすが本場のお茶は味が違うな」と言ったが、お店の人は笑っていたに違いないと思う。各自自己紹介も終わり、めいめい食事と会話を楽しんだ。特に沖縄の下地会長の「沖縄ジョーク(?)」が冴え渡り、東京の大瀧会長は隣でずっと笑っていた。なお、沖縄の下地会長と東京の大原氏が兄弟ではないかと思うくらいのコンビネーションを見せていたが、若干下地会長の方が引き気味だったように見えた。そして交流会の紅一点である事務局の中村さんの雰囲気は「沖縄の女性はみんな綺麗」という自分の事前のイメージ通りで、交流会の華となっていた。たくさんの料理とお酒、お茶などで会計が一人3000円という値段も、我々東京青中の驚きのひとつだった。店を出た後に記念撮影を済ませ、沖縄青中の翁長副会長に案内され夜の街にみんな消えていった。


二日目
みんな眠そうな顔で集合時間の9時を迎えたが、人数がそろってない。全員そろうのに30分ほど遅れて二日目がスタートした。中部交通の安里さんが、今回の旅行のバスの運転手さんである。まさにうちなーの雰囲気を持つ安里さんは、沖縄の話を色々としてくれた。一行は美ら海水族館に向かい、マンタやジンベイザメを見学した。水族館としての敷地の広さと水槽の大きさは、東京ではイメージできないものだった。携帯での撮影では、サメが大きすぎて全部入らずに何度も撮りなおした。外国の方や本土からも我々以外にもたくさんの観光客が来ているらしく、みな一様に驚き方が一緒だった。お土産売り場にたくさんのぬいぐるみやキーホルダーがあったが、大混雑している様子は東京ディズニーランドのお土産売り場と同じ感覚になった。その後バスはオリオンビール工場に向かった。お酒を飲まない自分にとってビール工場見学自体は全く興味が無いが、「沖縄県で作られるビール」という響きは、好奇心の強い自分には何か勉強できることがありそうな気がした。ビールは寒いところの方が造りやすいらしく、北海道などに比べ沖縄県ではかなりの工夫が必要らしい。見学した日が土曜日だったため稼動自体はしてなかったのだが、工場内の見学はかなり面白いものだった。見学後に配られたおつまみが大変おいしく、たくさんのお土産として買って帰った。オリオンビール工場内で作っているおつまみらしいが、お菓子を食べない自分にとっては新しい発見だった。その後バスは万座毛に向かった。到着後にかなりの強風になり、波を荒くなった。象の鼻のような岩があり、そこに当たる波が真っ白いしぶきを上げているのを見ると自然の怖さを感じた。風が強いにもかかわらず、崖みたいな部分におまけ程度にしか柵が無く、突風で煽られたらと思うと怖くて早足になって通過した。お土産売り場では、かなりのものが並んでいたがなにぶん風が強く、みんなは早めにバスに乗り込んだ。次は琉球村に向かう。琉球村には列島各地の歴史ある建物が移築されている。屋根のシーサーも色も姿もさまざまで、見ているだけで楽しめた。ご先祖様が守護神として祀られている御嶽(ウタキ)は神聖な感じがした。陶芸工房では職人さんがろくろを使い、製作しているところも見ることが出来たし、水牛の製糖工場では四歳の牛が回っていて記念撮影も出来た。黒糖は自家製作をしているため格安で販売していたが、残念ながら買い忘れて後悔している。夜は国際どおりにて名の知れたステーキハウスに行き、おいしい肉を食べた。そこの店は、店員が全員女性のため華やかな感じであり、ワインなどを注文して盛り上がった人もいた。高級店だったため、幹事の多田委員長は最初だけかなり気を使っていたが、ワインを一番飲んでいたのも多田委員長だったことは、自分がチェックしていた。二日目の夜も初日と同じく、沖縄の夜の街に溶け込んでいった。


三日目
朝の9時に集合だったが、あいかわらず時間通りに集合できない一行。最終日の三日目は、まず荒崎海岸に向かった。ちいさな看板は出ているのだが、なにぶん道が狭い。ある程度まで奥に行くと、農作業をしている「おじいとおばあ」を見つけた。安里さんは海岸までの行き方を聞いたが、バスで入れるところから約1km歩くとのことだった。釣りをしている現地の人がいるので、車では入れることは入れるのだが、バスでは絶対無理なのと「ハブがいるかもよ」という雰囲気の中、一行は海岸に向かって歩いていった。無事海岸に着いたが、足場がゴツゴツとした石で出来ていて、歩行が大変だった。なんとか歩き回ると集団自決をした石碑があった。あまり歴史に詳しくない自分だが、沖縄県の持つ歴史の少しを見た感じがした。その後バスに戻り、おきなわワールド文化王国と玉泉洞に向かった。一行は見学したい場所に合わせめいめい分かれて、見学を楽しんだ。エイサー広場や琉球ガラス王国工房などたくさんの見る場所はあるのだが、ショーの公演時間があわなかったことや、施設内を全部見学すると約1時間半もかかるらしいので、集合に遅れないようなルートを通った。一行はその後、首里城に向かった。駐車場から徒歩で向かうのだが、たくさんの門をくぐり首里城に到着した時に、きらびやかな色使いに目を奪われたことは今でも覚えている。内部見学でも玉座の周りは赤を基調とした目立つ色使いが多く、本土にある城の色使いとは全く違うことがわかった。太平洋戦争における日米最後の決戦として戦われた沖縄戦(1945年[昭和20年])によって首里城はアメリカ軍の猛烈な砲撃を受け炎上し、地上からその姿をほぼ完全に消してしまったそうで、沖縄戦による焼失から数えると47年ぶりに首里城は蘇ったそうだ。日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録されたらしく、たくさんの見学者が来ることも当然だと感じた。その後国際通りに戻り、二時間のお土産タイムを設けた。自分は、初日二日目で仲良くなった地元の女性をナビにし、お土産を買い捲った。現地の人しか行かないような食堂を紹介してもらい、一緒に食事をした。驚いたことは、各テーブルに水の変わりに「アイスティー」が置いてあったことだろう。集合時間に合わせ食堂を後にし、集合場所に向かった。しかし現地の人の集合場所とバスの乗り場が違ったために、初めて集合時間に遅刻をしてしまった。女性に別れを告げバスは一路空港へ向かった。最初にも書いたが、沖縄県民のイメージでもあった「沖縄の人は時間がゆっくり流れているためルーズである」と言う考え方は、改めることとなった。なぜかと言うと、我々一行は、集合時間に全員がそろったことがこの旅行中一回も無かった。この旅行での経験をもとに時間をしっかり守ることを、自分はしっかりやっていこうと思いました。幹事の多田委員長を始め、沖縄青中の方々や国内研修でお世話になった方々に、大変有意義で面白かった初沖縄上陸のお礼を言いたいです。VIVA 沖縄!!

副会長 岩窪



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